第 V 章-3 日本公衆衛生学会「自由集会」参加
第68回日本公衆衛生学会 自由集会
テーマ:離島における保健看護活動 ―情報と意見の交換から連携を目指す―
日時:平成21年10月21日(水) 18:15〜20:15
場所:奈良市 奈良商工会議所
世話人:神里みどり
参加者:22人
内訳 奈良会場12人(県外5人、非常勤講師1人、本学教員5人)
本学会場 9人(院生2人、本学教員7人)
宮古会場 1人(院生1人)
本学会場と宮古会場は遠隔システムを使用し、奈良会場と3地点中継で自由集会を行った。
配布資料:
「平成20年度大学院教育改革支援プログラム」リーフレット
「平成20年度大学院教育改革支援プログラム」フォーラムのチラシ
本学広報誌「かせかけ」第15号
奈良会場の参加者の主な活動背景(本学教員を除く)
1)山梨県の山村に勤務する保健師(2人)
2)東大院生:小さな山村の保健師としての勤務経験有り(1人)
3)東京都保健師:東京都・八丈島で保健師としての勤務経験有り(1人)
4)自治医科大教員(1人)
主な内容は、下記のとおりであった。
1.参加者の自己紹介並びに本大学院GP取組の説明
2.参加者の自己紹介および意見交換
1)島嶼における看護活動上の問題点と利点
2)看護職が離島で行き詰まらずに活動を続けていくために解決すべき課題
3)島嶼看護に携わる看護職の確保
4.今後の連携への呼びかけなど
〈意見交換の主な内容〉
1)院GP責任者の神里より、GPの取組の概要や院生の入学状況についての説明が行われた後、参加者より、下記のような質問があった。
入学してくる修士・博士課程の院生は、県立看護大学の学部の
卒業生が多いのかどうか?
募集の範囲は、沖縄県内だけなのかどうか、北海道からでも
入学が可能かどうか。
2)離島・山村・僻地における保健看護活動の実際・活動上の課題や
問題点などについて
八丈島においては、平成17年より光ファイバーが入り、それから順次その他離島の小笠原でも1〜2年以内でネット環境が整った。以前は情報がなかなか得られないなどの情報格差などがあったが、ネット環境が整うことで情報格差が少なくなってきたのではと思われる。問題点として島嶼は保健師が定着しない、応募しても集まらない、採用されても何年かで戻ってしまうことがある。3年ぐらい前に自治医科大学と一緒に小規模離島の実態調査を協力して行い、環境整備をしている状況である。東京都の保健所は220人保健師がおり、その中で9名が島嶼保健所にいる。赴任期間は2年であるが人集めが大変で、女性の多い職場なので、家庭の事情や出産・子育てのタイミングで赴任できないなどの理由があり、なかなか定着しない。東京都としても人材を確保していくのが課題である。沖縄県や長崎県など、どうやって人材確保や促進をしているのか聞ききたい。
長崎県は離島と半島から成り立っている県なので非常に厳しい状況ではあるが、4つの離島エリアに県の保健所があり、強制的にローテーションで赴任する。各離島の小さい島には保健師は常駐していない。ほとんど島出身の保健師がおり、あまり大きな動きはない。保健師に関しては、人数はもう少し欲しいところであるが、表向きは特に問題になっておらず、むしろ看護師不足が問題だとされている。離島医療圏組合というのがあり、慢性的に看護師が足りないと言っているが、離島には離島出身者しか来ないと思い込んでおり、看護大学など教育機関に求人募集が来ない状態であった。現在は少しやり方が変わったと聞いているが、長崎ではこのような状態でした。沖縄はどうですか?
宮古島市は市町村が平成17年に合併し、現在は1市1村で人口は5万5千ぐらいで、保健師は21名いる。保健所の保健師が1年の現任教育を行っている。現任教育は、県が作成したモデルプログラムに基づいて指導している。
離島の多良間島などへは、月に1度ぐらいの割合で保健所保健師は出向いている。
中央保健所は、那覇市・浦添市、久米島など離島を含めた7町村を管轄しているが、離島の保健師は2〜3年で変わるので大変という話であった。保健所の保健師は、各々離島村を担当しており、定期に月1回というのではなく、時々島へ出向き指導にあたっている状況である。保健師採用については、それぞれの離島村が全国的にネットで求人募集をおり、県外から若い保健師が応募し勤務している状況である。その保健師が島の人と結婚し、そのまま居着くということもある。
沖縄の離島では、ネットで求人募集をかけたら全国から応募があるということであるが、東京都の場合、市町村で募集をかけてもなかなか応募者が集まらない。今年度中にはできると思うが、HPで島嶼の保健師の活動をPRしたいということで町・村の保健師と協力して作成している。東京都は沖縄のように海がキレイなどという魅力が少ないので、どうやって魅力をアピールするかをみんなで協力して行っている状況である。
○○さんが小笠原に行かれた経緯や戻ってきた経緯などを教えていただけると、ヒントがあるのではないか?と思いますが…
私は、杉並区に勤めていた時に同期に誘われて小笠原に観光し、こういう所で生活をしてみたいなと思いました。元々僻地医療にはすごく興味がありました。東京出身の私にとって僻地というと山村のイメージしかなかったので、海や離島を考えておらず、たまたま役場のHPを見た時に募集していたので応募しました。小笠原でどのぐらい働くのかと考えた時に定年退職まで働くことは考えられず、行政の保健師は公務員なので就職するには年齢制限があり、そのことが気になったので、自分の年齢から計算して何年ぐらい島で生活できるかを考えらながら島で仕事をしていました。
色々な理由があると思いますが、私と同じような考えで2〜3年で辞めていく人もいらっしゃるのではないかと思います。